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郷土菓子に温もる

写真左は「石橋屋」(TEL 022-222-5415)の店構え。市の都市景観賞なども受賞している。
写真右は石橋屋の駄菓子。「果物菓子」はブドウとミカンの寒天ゼリー菓子(2個入り231円)。
「兎落雁(めんこい)」は1個315円。「黒パン」は米ぬか入りのクッキー風菓子(10個入り662円)。

老舗「石橋屋」の駄菓子

梅干しを模した「梅子」、きな粉で作った皮に巻かれた「干切」、「吉原巻」、餅粉を練りきな粉などと混ぜ黒砂糖を入れ白すり蜜をかけた「輪南京」(各6個入263円)。

老舗「石橋屋」の駄菓子

クッキー菓子「マコロン」(140g609円)。ブドウの形のおこし風菓子「ぶどうにぎり」(6個入609円)。塩味の菓子種にピーナッツが入った「えそべ」、赤餡に米飴、黒砂糖、餅粉で練った「兎玉」、(各6個入263円)。

トパーズゴールド・メタリックのOUTBACK

江戸時代、伊達氏六十二万石の城下町として繁栄した宮城県・仙台。
懐かしい風景の中へ

 郷土菓子紀行のスタートは仙台から。初日は仙台市の中心部から南へ2kmほど走った、若林区舟丁にある仙台駄菓子の老舗「石橋屋」を訪ねた。かつて藍染めに用いられていたという掘割の橋のそばに建ち、見事な枝振りのしだれ桜が春には花を咲かせる。京都風のれんじ窓、藍色の長のれん、店先に置かれた天水桶など、上方風情溢れる店構えが郷愁を誘う。トパーズゴールド・メタリックのOUTBACKが、その佇まいにしっくりと馴染む。

 暖簾をくぐり引き戸を開けると、昔ながらのショーケースにはさまざまな色、形をした駄菓子が並んでいる。最近は全国発送もされているそうで、お忙しいなか三代目・石橋佐吉さんに話をうかがうことができた。
「駄菓子の始まりは平安時代、14世紀頃といわれています。それまで菓子といえば果物や木の実のことだったのですが、その頃から雑穀や米を潰したり焼いたりして、菓子として食べるようになりました。江戸時代になり欧州から砂糖が入ってくると、餡を使った和菓子が生まれました。つまり駄菓子は、日本菓子の原点なのです」

 伊達藩には仙台糒(ほしいい)といって、もちきび、うるきび、粟きび、トウモロコシきびなどがあり、これらを原料とした菓子類が作られたが、時折町民にも払い下げられ、おこしやきな粉、胡麻、くるみ、栗などを使ったねじり菓子や餅菓子などが作られた。ところが和菓子が庶民へも広がるうち、徐々に大人は駄菓子を口にしなくなり、子どもの菓子へと成り下がっていったという。石橋屋は明治18年に飴屋として創業したものの、駄菓子に興味を持った二代目・幸作氏が日本全国を歩き回り駄菓子について取材・研究を重ね、大人が楽しめるものとして復元した。
「現在約80種類の駄菓子を扱っていますが、仙台だけのものという訳ではなく、あくまでも郷土駄菓子。他県で見られるものもたくさんあるんですよ」

 輪南京、ねじり菓子、マコロン、ダルマ飴…。色も形も素朴だが、どれも優しい味わい。
「つるし柿の甘さを基準に、黒砂糖や水飴で甘みを表現します。体に優しい菓子なんですね」

 なかでも目を引いたのは、可愛らしいウサギの形をした兎落雁(めんこい)。若林区荒町にある毘沙門天の縁日でかつて売られていたもので、毘沙門天は子どもの守り神であることから、子どもを病から守るという思いが込められているそう。駄菓子一つひとつに逸話が残されているのが興味深い。

 幸作氏の研究成果は、店舗の奥にある資料館で目にすることができる。「駄菓子風土記」などの著書、紙粘土で作られた飴売りの人形や駄菓子、絵画などを眺めているうち、懐かしさと同時に幸作氏の尽力に胸が熱くなった。

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