能登の小さな湯宿。
日常を離れたひとときが
日常に新たな意味を与える。

レヴォーグで旅する石川県の旅

2022.12.9 | #73 Ishikawa Touring /Day6:STAY「湯宿 さか本」

『湯宿 さか本』の名は、聞いたことがあった。
能登にある小さな湯宿。その滋味深い料理には、料理人のファンも多いという。検索してみると、ホームページには「いたらない、つくせない宿」とあった。好き嫌いが大いに分かれる宿、ともあった。部屋にはテレビも電話もなく、トイレは共同。予約は電話のみ。歯ブラシも髭剃りもご持参ください。なかなか個性の強い宿のようだ。
しかし私はそこに添えられたいくつかの写真の、凛とした美しさが気になった。きっと静寂と清潔な空気に包まれた場所なのだろう。だから旅の目的地を能登半島に決めたとき、まずこの宿を予約した。
能登半島を北上し、珠洲市へ。海沿いの道から山道をたどる。周囲は荒々しい海景色から、しっとりと落ち着いた森の風景に変わる。しばらく走ると木々の切れ間に、趣ある建物が見えてきた。ここが目指す『湯宿 さか本』だろう。
石川県 山道の木々の間を駆け抜けるレヴォーグ(セラミックホワイト) | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

レヴォーグのハンドルを握り、木々の間を抜ける。徐々に増す静けさに気分が高まる

石川県 『湯宿 さか本』の玄関 | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

『湯宿 さか本』の玄関。屋根の能登瓦が黒く輝く

車を停めて、アプローチを進み、引き戸を開く。
館内はしん、と静まり返ってきた。しばし待ったが迎えが出てくることもない。ふと見ると柱に銅鑼がかかっていた。これを自分で鳴らして、到着を知らせるのだろう。やってみるとスタッフがやってきて、客間に案内してくれた。
通された部屋の囲炉裏端に座る。囲炉裏には炭が入っていた。そして私は、自分が妙にリラックスしていることに驚いた。
過剰なサービスがあるわけではない。ことさらに歓迎の言葉を伝えられるわけでもない。あっさりとした接客は、ともすると無愛想に感じてしまうかもしれない。
だが、私は気づいていた。
落葉の時節であるのに、アプローチに落ち葉ひとつ落ちていないことに。黒漆を塗った床板が、顔が映るほど磨き抜かれていることに。窓ガラスが、そこにガラスがあることに気づかぬほど透明なことに。囲炉裏には炭が熾っているのに、煤も埃も落ちていない。
それは気迫さえ感じられるほど、丁寧な清掃の結果だ。心を込めて清めて、客を迎える。それは百の言葉にも勝る、何よりの歓迎だと思った。
石川県 ふき漆で出来た『湯宿 さか本』の廊下 | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

黒光りする床や柱は“ふき漆”という手法で仕上げられている

石川県 『湯宿 さか本』客室 | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

客室は3室。食事は宿泊者全員で同じ食卓を囲む

石川県 『湯宿 さか本』離れ | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

離れはチェックイン前、チェックアウト後にも自由に利用できる

「茶飲み話につきあってくださいませんか」
しばしくつろいでいると、主人の坂本新一郎さんに部屋に招かれた。いや「代は娘に譲った」という言葉を尊重するなら先代というのが正しいだろう。
庭を眺めてお茶を飲みながら、とりとめもない話をした。
古民家だと思っていたこの建物は、坂本さんが両親から湯宿を継いだ際に建て替え、30年ほどしか経っていないという。平成元年に「日本一小さい宿をつくろう」と決意して、能登の建築家に依頼をした。すると建築家は坂本さんにいくつかの宿題を課した。周辺の動植物相を調べる、現地の航空写真を撮ってくる、といった具合に。坂本さんは4年半かけて宿題をやり遂げて、ようやく建築がはじまった。
話を続けるうち、やがて坂本さん自身の話題となった。
高校時代、体操競技中の事故で体の自由を失った。病院に見舞いに来た父がその帰路で事故にあい、帰らぬ人となった。不自由な体をおして料理人を志した。多くの店の門を叩いたが、そのほとんどで門前払いだった。やがて修業を受け入れてくれた一軒で人並み以上に働いた。
私は聞くうちに少しずつ、自分の背筋が伸びていくことを自覚していた。悔やむのも、恨むのも後回し。とにかく今できることに真剣に向き合う。人はこれほどまで強く、真っ直ぐ生きることができるのか。
部屋は相変わらず静かで、穏やかな空気が流れていた。
「旅から帰って“やっぱり家が一番だな”なんて思われたら負けなんです。宿をやっているのですから、日常以上のくつろぎを感じてもらいたい」
坂本さんはそう笑った。
私はただ、この人と向き合って話をすることに、誇らしい気分を感じていた。
石川県 『湯宿 さか本』の動画 | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ
食事は噂通りの絶品だった。
伝統だった松茸づくしは客入りがその時期にだけ集中してしまうため封印したという。しかし地の物にこだわった食材を前に、
「昨日、素晴らしい天然物の舞茸が入ったんです。それがうれしくて、うれしくて」
と少年のように目を輝かせる坂本さんが印象的だった。
さらに圧巻は、締めの焼きおにぎりだ。能登の伝統的な魚醤である“いしる”を塗って香ばしく焼き上げてある。口にすると米がほぐれ、いしるの独特な風味と米の甘みが広がった。なんと滋味深く、なんと贅沢なおいしさだろう。
石川県 『湯宿 さか本』夕食の焼きおにぎり | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

夕食の締めに出される焼きおにぎり。表面にいしるを塗って焼き上げる

翌朝の朝食も素晴らしかった。
寝覚めの食卓にスッと出されたのは、揚げたてのがんもどき。熱々をかじってみると、香ばしい皮のなかから大豆の風味が立ち上がる。体中の細胞に司令が行き渡り、一斉に目覚めるような気分だ。やけどしそうになりながら、あっという間に食べきり、しみじみと吐息がもれる。「おいしい」という言葉は、この満ち足りた充足感を指すのだろう。そんな思いが浮かんだ。
石川県 『湯宿 さか本』仕込み中の朝食のがんもどき | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

朝食のがんもどきを仕込む。ふんわりと形づくる熟練の技が光る

石川県 『湯宿 さか本』朝食の揚げたてのがんもどき | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

揚げたてのがんもどきは、朝食の最初に登場する

帰り際、代を継いだという娘の坂本菜の花さんと話をした。
穏やかに笑う静かな女性だが、その美しい名前とともに、凛とした気丈さを父から譲り受けているように思えた。
「人が暮らしていくために必要なものは、そんなにないと思います。海があって、山があって、畑や森がある。能登には暮らしに必要なものが十分に揃っています」
菜の花さんはこの地の魅力を、そんな言葉で伝えてくれた。その言葉もまた、深く私の心に刻まれた。
生きること、暮らすこと、食べること、眠ること。ただ静かに佇むこの宿は、なんと多くのことを私に教えてくれたのだろう。わずか1泊2日のこの滞在は、私の人生のなかで、忘れられない時間となった。
石川県 『湯宿 さか本』の坂本菜の花さん | SUBARU グランドツーリングNIPPON | SUBARU | レヴォーグ

「愛想のない宿ですが、お好きなように使ってもらいたい」と坂本菜の花さん

DATA

湯宿 さか本
住所:石川県珠洲市上戸町寺社15-47
TEL:0768-82-0584
URL:https://www.yuyado-sakamoto.com/
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