エンジニアインタビュー SUBARU BOXER 60th Anniversary

1989年、初代レガシィとともに誕生し、長年SUBARUの走りを支えてきたEJ20エンジン。
開発に携わった関 竜達の証言から、SUBARU BOXERの真価と進化の歩みを紐解く。

EJ20と共に歩んだ30年

  • 前編

  • 中編

  • 後編

EJ20のエンジン模型と一緒に映る関さん

SUBARUボクサーエンジンの語りべ

1989年1月23日、EJ20エンジンを搭載したレガシィが発表された。
その約2か月後の4月、神奈川県にある大学の機械工学科を卒業した関 竜達はSUBARU(当時の富士重工業)に入社し、東京・三鷹市にある技術本部パワートレイン設計部(当時の設計2部)に配属された。

このコラムでは、EJ20を皮切りにSUBARUパワーユニットの設計・開発にエンジニアとしての人生を捧げてきた関を語りべに迎え、前・中・後編の全3回にわたって、水平対向エンジンの真価と、数々のブレイクスルーを生んだEJ20エンジン開発の舞台裏に迫る。

関さんのプロフィール画像

関 竜達

株式会社SUBARU 技術本部 パワートレイン設計部エンジン設計課エキスパート

1980年代~EJ20誕生前夜

関は、EJ20を語る前に、同機が誕生した時代背景として、1980年代のクルマを取り巻く社会状況がどのようなものだったのか、まずはそこから紐解いておきたいという。

「1980年代半ば、日本のクルマ環境は新たなフェーズに入りました。それまで移動手段のひとつとして認識されていたクルマが人々の日常生活に深く浸透してゆき、週末のレジャーでの活用や、SUVやコンパクトカーなど車種の多様化が進んだことで、保有台数は一気に拡大していったのです。モータースポーツ界では、80年代後半からF1人気がブレイクし、ホンダのV6ターボエンジンが圧倒的な強さを誇りました。その熱気は量産車にも波及し、クルマの価値観は『高性能・豪華・スタイリッシュ』へとシフト。エンジンとしてはツインカム(DOHC・4バルブ化)やターボ、フルタイム4WDといった最先端メカニズムを表す言葉が、クルマの価値を証明するステータスとして、カタログや雑誌の誌面を飾るようになったのです」

当時の時代背景を補足すると、それ以前の日本車は、高速道路で100km/h(軽自動車は80km/h)を超えると、ダッシュボードの奥から「キンコン、キンコン♪」と鳴り響き続ける「速度警告音」の装備が法規によって義務付けられていたが、1986年にはそれが改正され、その一方で1985年から高速道路でのフロントシートベルト着用が義務付けられた。また、1982年には中央自動車道が全線開通し、関越・常磐・山陽道などの延伸が加速。1987年には東北自動車道が全線開通し、本格的な高速巡航時代が到来した。」関越トンネルの上下線開通はウインタースポーツを後押しし、レガシィ(AWD)+スタッドレスは無敵の雪道ツアラーとなる。

EJ20がとり結んだSUBARUとの縁(えにし)

SUBARUのBOXERエンジンのイメージ

そんな80年代、関は神奈川県横浜市にある大学に進学し、機械工学科で”熱流体”の研究をしていた。熱流体とは、平たく言えば「熱や気体の流れ」のことで、具体的にはガソリンエンジンやディーゼルエンジン、航空機のジェットエンジンのような内燃機関全般をいかに無駄なくきれいに燃焼させ、性能を高めるかという研究である。そんな研究に没頭しながら ”卒業したらエンジンの設計をしたい”と考えていた関は、どうしてSUBARUを選んだのだろう。

関さんが説明する様子

「当初は就職先としてSUBARUは考えていませんでした。他メーカーがやっていない『水平対向エンジン』に取り組んでいる姿勢は興味深かったのですが、当時は他の自動車メーカーがDOHC(ツインカム)やターボで急速に高性能化を進めていました。それに比べると、当時発売されていたレオーネやアルシオーネに搭載されていたEA/ERエンジンは、まだOHVやSOHCが中心で『一世代前のエンジン』に見えたのです。将来的にこれ以上の出力向上や燃費改善といった課題をクリアし、他社のエンジンと互角に渡り合っていくには、設計的にも限界があると感じていました」

小学生のときの工場見学で日産村山工場を見学した際に、スカイラインGTRを知って乗り物に対する興味が芽生え、進学を考える際には、旧プリンス自動車(後に日産自動車と合併)でスカイラインの開発を率いた櫻井信一郎氏と同じ大学の機械工学科へ進学。入学と同時に免許を取り、日産バイオレットを入手、林道走行や草ラリーを楽しんだ。その後、大学3年の冬に5代目スカイライン(通称ジャパン)ターボを中古で購入。当時、7代目R31 型スカイライン(通称セブンス)が登場し、旧型となった4気筒2.0Lの超高性能ターボモデル「DR30(スカイラインRS)」がたたき売り状態だったが、学生の身分では維持費も含めて到底手が出ない。そこで選んだのが、SOHCながらも「6気筒ターボ」を搭載したジャパンだった。 通学にも使い、第3京浜が通学路で6気筒ターボエンジンならではの余裕のある高速巡行を経験した。そのような経緯もあって日産にシンパシーを感じていたが、規模の大きい会社には興味がなかった。そんな1988年の夏が終わりを告げるころ、関の元をある大学OBが訪ねてきたという。

関さんが説明する様子

「SUBARUの技術本部に進んだ先輩が会社説明のために来校し、まだ公にはされていない『新型エンジン』の話を聞かせてくれたのです。それは、ゼロから新設計して、燃焼室や吸排気系を一新し、DOHC化や4バルブ化、さらにはターボチャージャーを装着した、新世代の水平対向エンジンでした。設計図を見たわけでもなく、どんなクルマに採用されるのかといった詳細は何も分かりません。けれど、近々発表される新型車に搭載されるその新しいエンジンのスペックを聞いた瞬間、私の心は決まったのです」

こうしてEJ20というエンジンによって、関 竜達という一人のエンジニアとSUBARUとの運命的な縁(えにし)がつながったのである。

レガシィ(RS)のエンジンフードを開けて

初代レガシィのイメージ

関がSUBARUに入社して配属されたのは、EJ20の”主機チーム”であった。主機というのはエンジンの運動部品(クランクシャフト、ピストン、コンロッド、カムシャフト、バルブ等)と骨格部分(シリンダーブロック、シリンダーヘッド、潤滑・冷却系等)を指し、吸・排気系、燃料系、電子制御は”補機チーム”が担当していた。配属されて初めてレガシィ(RS)のエンジンフードを開け、EJ20エンジンを目にしたとき、関はどのように感じたのだろう。

レガシィのエンジンルーム
写真の車両は90年5月に年次改良されたモデルでエンジンカバーが黒です。1989年発売当初のモデルは冒頭のエンジン単体写真と同様にエンジンカバーがシルバーに塗装されていました。

「ボンネットフードを開けると、中一面にびっしりと機械が詰まっていることにびっくりしました。自分が乗っていたクルマは直列6気筒エンジンで、主機であるエンジンの片側に吸・排気系があり、反対側の空間にはゆとりがあって、簡単に手を入れることができました。レガシィの場合はエンジンルーム奥にまず大型の水冷インタークーラーがあり、その手前に「4CAM 16VALVE」と赤い文字で記されたエンジンカバー、さらに水平対向エンジン上部に吸気管があって、オルタネーター、エアコン・パワーステアリング用のポンプなどがびっしりと詰まっていて凝縮している感覚、機械好きの私はそのメカメカしい佇まいに好感を持ちました。一方で、”水冷”のインタークーラーを装備しているのに、なぜボンネットフードに大きなダクト(穴)が必要なのだろう? と、ふとした疑問が沸きました。これは、運転席の前あたりに装備されていたターボチャージャーの熱を外部に排出するためのものだと知り、納得しました。初めて運転した時に感じたのは、ターボエンジンの力強さです。静粛性や振動・騒音云々という感覚はまったく覚えていませんね。とにかく、200PSを越えるエンジンが発揮する加速はこうなるのか!と、衝撃を受けたことを鮮烈に記憶しています」

初めて目にする、未知のパワーユニット。そのメカメカしい佇まいと強烈な加速性能に魅了された関は、この後自らのエンジニアとしての夢をEJ20に託し、水平対向エンジンならではの難しさや課題を一つひとつ乗り越え、その良い部分を磨き上げながら約30年を共に歩んでいく。そのストーリーは次回中編に譲り、ここでは「エンジニアの視点から見た、直列エンジンと水平対向エンジン」を、率直に語ってもらい、前編を締めくくろう。

エンジニアの視点で比較する
水平対向エンジンvs直列エンジン
~関 竜達

重量・原価分析で比較する

自動車雑誌などで語られているように、水平対向エンジンは直列エンジンと比べて低重心であり、ボディに縦置きに搭載すれば左右対称で操作性や走行性能において理想的な重量バランスを備えたAWD車をつくることができるというメリットを持っていることは間違いありません。一方で、私たちのように”量産車を企画・設計し、お買い求めやすい価格でお客様にお届けする”というエンジニアの立場からは、まったく別の視点で比較・検討することも重要なのです。

2つのNo!原価面における不利

水平対向エンジンは、直列エンジンであれば1つで済むシリンダーヘッドやカムシャフトなどの部品が、左右で2つ必要になります。初代レガシィの原価分析においても、直列エンジンであれば1個で済む部品が2個必要になるという、コスト面での不利が改めて認識されていました。さらに言えば、生産時に直列エンジンと比べると複雑な作業や工程を必要とするため、時間やコストを増やしてしまう傾向があります。こうした事情を考慮して、1980年代後半には、EJ20と並行してセグメントに合わせた直列4気筒エンジンの開発も進めていたのです。

重量面における逆転現象

スバルは1966年に開発したEAエンジンで他社に先駆けてアルミ製のシリンダーブロックを採用していたため、直列エンジンのほとんどが鋳鉄ブロックを採用していた時代は重量面で有利でした。しかし1980年代なかばから他社の直列エンジンも続々とアルミ化が始まり、1990年代中盤頃からはアルミダイカストブロックを採用して軽量化を図り始めると、その優位性は完全に逆転し、重量面でもビハインドを背負うことになりました。私たちSUBARUのエンジニアは、このような水平対向エンジンのビハインドを自覚した上で、コスト、生産性、あるいは整備性も考慮しながら、よりよいパワーユニットに仕上げていく努力・研鑽を続けています。
それは、水平対向エンジンにはこれらの不利な要素を補ってあまりある、機械としての圧倒的な素性の良さがあるからです。以下に挙げる3点は、私自身が実感している水平対向エンジンの優位点、魅力です。

3つのYes!機械力学的視点から見た”素性の良さ”

水平対向エンジンの最大の素性の良さは、構造的に振動が少ないことです。水平対向エンジンは、稼働時に向かい合った左右のピストンが、同時に中心に向かって動き、同時に外側に向かって動く構造になっています。この「左右対称で、常に反対方向へ同じ速度で動く」という幾何学的な構造により、右のピストンが発生させる揺さぶりの力と、左のピストンが発生させる揺さぶりの力が、常に完璧に釣り合って相殺されます。そのため、直列エンジンのようにバランサーシャフトなどの振動を抑えるための部品を追加する必要がありません。この「素の良さ」は大きな利点です。

幾何学的美しさ

関さんが解説する様子

”美しさ”などと言うと、文学的で、機械工学的な冷静さを欠いた表現のように聞こえるかもしれません。それを踏まえた上で、私の個人的な見解として言わせてもらうと、水平対向エンジンには、左右対称(シンメトリー)であることの幾何学的な美しさがあります。直列エンジンが細長い直方体で間延びして見えるのに対し、水平対向エンジンは一切無駄がなく、コンパクトに収まって見えます。クランクシャフトのウエブの薄さや、前後長を比較しても、同じ排気量、シリンダー数で直列エンジンと比較すると、圧倒的に無駄なく、軽量に設計することができます。ボア中心・クランク中心で切った断面図の設計図を描いて比べると、水平対向の図面はバランスが良くとても美しいのです。そこには「見てきれいなものは、機械として素性が良い」という考えを裏付ける幾何学的な美があるのです。

ビッグボア×ショートストロークの優位性(パワー競争におけるBore×Strokeの比較)

関さんが解説する様子

フロントエンジンの場合、エンジンは左右のタイヤの間に収める必要があります。一般的な直列エンジン横置き4気筒の場合は、ピストン4個とトランスミッションを収める必要があり、ボア(シリンダーの径)×ストローク(シリンダーの長さ)の比はスクエア、2Lの4気筒なら86㎜×86㎜、をベースに考えると、スモールボア×ロングストローク寄りになります。これに対して水平対向縦置きの場合は、全幅に制約があるためロングストロークにできないと考えられがちですが、そういうわけではありません。仮に直列4気筒エンジンを解体して水平対向4気筒に作り直そうとすると、まず、縦に4つ並んだシリンダーを180°開いた際に、隣り合う2つのシリンダーの間に余剰スペースが生まれるため、その分クランクシャフトの長さを短くすることができます。ただし、その場合もエンジンブロックにクランクシャフトの軸を受けるための幅を確保する必要があります。この結果、隣り合わせた2つのシリンダーの間にはスペースが生まれるため、最大限にこのスペースを使い切ってボアを拡大し、ミニマム体格で水平対向エンジンを作ろうとすると、直列4気筒エンジンと比較し、ビッグボア×ショートストローク寄りとなります。

クランクシャフトのイメージ

➡有利に働く理由その1

クランクシャフトの強度向上:ピストンの動くストロークを短くすると、エンジンブロックに挟み込まれて回転の中心軸となる「メインジャーナル」と、コンロッドを介してピストンの往復運動を回転運動に変える「クランクピン」の、隣り合う二つの軸が重なり合う面積(オーバーラップ)を大きく取ることができます。これにより、一番負荷がかかる「曲げ、ねじり」にガッチリと強度を持たせることができるので、高回転や大きな爆発力にもビクともしない、極めて頑強なクランクシャフトを作ることができるのです。

クランクシャフトを指差す関さん

➡有利に働く理由その2

吸気効率の最大化:ビッグボアにして燃焼室の直径を大きくすることで、より大きな吸気バルブを使用することが可能になり、結果として空気を多く吸い込めるようになります。パワーを出すためには空気を吸う能力が極めて重要になるため、この「ビッグボア×ショートストローク」の組み合わせは、エンジンの出力を限界まで引き上げるうえで、有利なレイアウトなのです。

レガシィ ツーリングワゴンのイメージ

関 竜達

株式会社SUBARU 技術本部 パワートレイン設計部エンジン設計課エキスパート

孤高の水平対向エンジン

1989年、SUBARUに入社して主機チームに配属された関に委ねられた最初の仕事は、レガシィに搭載されて発売されたばかりのEJ20に関する市場対応(市販車で発生した不具合の原因追求と解決)であった。そこで関は”水平対向エンジンにはお手本が無い”という現実の厳しさを知る。

「他社が開発したエンジンや、学会の最新レポートを調べても、そこには私たちの水平対向エンジンに直接フィードバックできるノウハウはほとんどありません。だから、何か不具合が発生した場合には、ゼロから自分たちの手で解決しなければならないのです。入社して最初に取り組んだ仕事で、それがいかに困難なことかを実感しました。垂直ではなく水平にシリンダーを配置していることの難しさに直面したのです」

インタビューに答える関さん

このとき関が取り組んだのは、初期のEJ20で発生する予期せぬ振動と異音の原因究明だった。水平対向エンジンは、エンジン燃焼時に発生する振動を左右のピストンが互いの動きによって打ち消し合うことで本来は滑らかに回転する。だが、それゆえに4つのシリンダー(燃焼室)の燃焼が少しでもズレると、そのバランスが崩れて振動につながってしまう。その現象の原因をたどっていくと、水平対向エンジンならではの根本的な課題にたどり着いた。

泡(エア)の袋小路

「水平対向エンジンと直列エンジンの構造の違いによって生じる大きな課題のひとつが、エンジンオイルに空気の泡が混ざってしまう現象”エアレーション”です。内燃機関においては、クランク、ピストン、カムシャフトなど、すべての稼働部品にオイルによる潤滑を施しています。エンジンオイルはオイルパンからオイルポンプで吸い上げられ、潤滑が必要な場所に運ばれ、潤滑の役目を終えるとオイルパンに戻り、再びオイルポンプで吸い上げられ~、というサイクルを繰り返しています。このサイクル中の「潤滑を終えたオイルがオイルパンに戻る」という所で、構造の違いによる差が出ます。

直列エンジンの場合、シリンダーが垂直に配置されているので潤滑を終えたオイルは素直にオイルパンに落ちていきますが、シリンダーが水平に寝ている水平対向エンジンでは、オイルは横に流れるのでオイルパンに戻りづらいのです。そのため、動いている部品の周辺で滞留・撹拌されることで”エアレーション”が発生しやすいのです」

初期のEJ20で発生した予期せぬ振動と異音の原因も、根本をたどると、この水平対向エンジンならではの”エアレーション”にあった。

「高回転運転後のアイドリング時にユサユサとした振動やカンカンと言った異音がエンジンから発生していたのは、吸・排気バルブ(混合気や排気ガスの流れを制御するフタ)を正確に動かすために欠かせないHLA(ハイドロリック・ラッシュ・アジャスター:油圧式隙間調整装置)にエアが入り込んでしまうことが原因でした」

EJ20Dの図

金属製のバルブは燃焼時の高熱にさらされることで熱膨張し、最大0.3ミリほど伸びてしまう。そのため、熱で伸びた状態を基準に、あらかじめバルブの軸の先端とそれを上から押し下げるカムシャフトとの間に隙間(あそび)を設け、バルブの長さを短めに設計している 。 しかし、隙間が大きすぎるままエンジンを動かすと、回転するカムシャフトがバルブの軸の先端を激しく叩き、異音を出したり、さらには部品を傷めてしまうため、カムシャフトとバルブの軸の先端の隙間は常に適切に管理する必要がある。

HLAは、”油圧式隙間調整装置” という名称の通り、オイルの油圧を利用して、エンジンが冷えているときには伸び、高温のときには縮むことで、常にカムシャフトとバルブの軸の先端を密着させる役割を果たしている。ところが、ここにエアが混入すると問題が起きる。液体(オイル)は押しても縮まないが、気体(空気)は押されると簡単に縮む性質があるためだ。オイル内部にエアが混ざったHLAは、固い棒としての役目を果たせず、スポンジのように縮んでしまう。その結果、バルブを十分に押し開けることができなくなる。

EJ20Gの図

「エンジン振動は、バルブの開閉タイミングが狂い、正確な吸排気が妨げられて、気筒間の燃焼がズレてしまったことが原因でした。また、異音は、エアの混入によってカムがロッカーアームを叩く状態となり、発生していました。EJ20の初期型の動弁系に採用されていたエンドピボット式というシステムは、カムシャフトがシーソーのようなアームを介して間接的にバルブを押す仕組みです。この方式では、シーソーの片方の端を固定する土台としてHLAを使い、カムシャフトからかかる強い力を下から突っ張って支え続けるために、HLAの本体をシリンダーヘッドに直接深く埋め込まなくてはなりません 。そのため、油路が奥で行き止まりになり、横に寝た水平対向エンジンでは、単純に設計してしまうと空気の泡がHLAがある袋小路に閉じ込められてしまうのです。

私が入社する前の設計になりますが、このDOHCのHLAシステムはエアレーションに対して非常によく考えられている半面、複雑で、製造性と原価が犠牲になる側面もあったものだと考えています」

水平対向ゆえの必然=高出力化への布石

「この問題を解決するために、私はバルブ開閉のシステムを『直打方式(ダイレクトプッシュ式)』に変更しました。具体的には、カムシャフトがアームを介して間接的にバルブを押す仕組みから、バルブの軸の先端に被せるコップのような部品である『タペット』を直接押す方式に変更し、このコップの中にHLAを組み込んだのです。 リザーバ室を2つ持つ設計にして従来型で生じていた袋小路を解消し、エアが入りにくく、入ってもすぐに排出できるようになりました」

こうして関が対策を施したEJ20は二度と同じ不具合を起こすことが無くなり、NA(自然吸気)エンジン搭載モデルから先行採用されてゆく。 当時、一般的な直列エンジン車では、エンドピボット式(ロッカーアーム式)のSOHC動弁系が広く採用されていた。対して、シンプルな構造で軽量化も図れる「DOHC直打方式」は、古くからレーシングカーなどに使われており、高回転まで正確に回ることから“スポーティな仕組み”というイメージが強かった。

「当時は他社も展開が様々で、同時期のDOHCを見ると、トヨタはカローラレビン等の『4A-G型』やセリカXX等の『1G-G型』ともに、HLAを使わない旧タイプのソリッドの直打方式で、高回転性能を優先していました。日産は7thスカイラインで初の直打方式HLAを採用し、メンテナンスフリーを狙っていました。ただし、その日産でも『スカイラインGT-R(R32型)』に搭載された『RB26DETT型』では、レースを意識してソリッドの直打を採用していました 」

旧タイプのソリッド直打方式は、軽量・シンプルな構造で高回転性能型ではあったが、金属の熱膨張を想定した遊び(すき間)を正確にコントロールするため、定期的なメンテナンス(タペット調整)が必要という欠点があった。HLAは精密な油圧メカニズムですき間を自動調整することでそれを解決し、快適性を高め、メンテナンスフリーにする装備だったため、当時は主に静粛性が求められるモデルを中心に装備されることが多かった。このような状況下で、関がこのとき直打方式HLAを選択した本当の理由は、単に性能を追い求めるためではなく、シリンダーが真横に寝ているという「水平対向エンジンならではの課題」を根本から解決するために、必然の選択だったのである。ただしこの後、さらに強靭な金属材料をバルブの受け皿として用いることで、HLAを使わなくても、軽量で限界まで高回転に回すことができ、部品がすり減らない完全メンテナンスフリーに進化した直打方式が開発される。

「 市場対応と並行して、その当時は不可避と考えられていた動弁系の摩耗に対しても、メンテナンスフリーのフルライフ保証の開発をしていました。2代目レガシィのビッグマイナーチェンジ、ターボエンジンの280PS化のタイミングでDOHCのHLA廃止を実現しました。エンドピボットから直打方式HLAへの変更は、初期EJ20 の不具合対策だけではなく、将来的なソリッド直打方式=高回転高出力化への布石でもあったのです」

説明する関さん

関 竜達

株式会社SUBARU 技術本部 パワートレイン設計部エンジン設計課エキスパート

280PSへのチャレンジを支えた夢

1993年10月、フルモデルチェンジを受けた2代目レガシィが発売された。EJ20も進化を遂げ、トップグレードのRSは、2.0Lの空冷インタークーラー付き2ステージツインターボDOHCにより、最高出力250PS、最大トルク31.5kg-mという圧倒的なスペックを誇っていた 。入社から4年目の関はこのとき、EJ20エンジンの補機チームに異動して2代目レガシィの2ステージツインターボの設計を担当した。
「当時はクルマの新技術が注目されている時代で、2代目レガシィでは、性能向上と新しい過給システムを導入すること、その2つが開発の大きなねらいでした。そこで”2ステージツインターボ”を導入しました。それによって達成された250PSは、当時発売されていた2Lクラスではトップクラスの性能でした」

二代目レガシィの発表後、当時のPGMから、開発スタッフ全員に対して、”次の年次改良(ビッグマイナーチェンジ)では、何をやりたい?” という話が出た時に、”(当時のエンジン最高出力)自主規制上限の280PSを実現したい!”と、関は単独で提案した。当時、一般的には年単位で行われるクルマのマイナーチェンジでは、フェイスリフトなど外装や内装のデザイン・装備面を中心にした開発が行われ、パワートレインやエンジンなどの主要部品に手を加えることはほとんどなかった。それに対し、SUBARUでは、EJ20が世に出た頃から、エンジンやパワートレインにも一年単位で細かい改良を加えていくという開発スタイルをとるようになっていた。しかしながら、フルモデルチェンジでクラストップレベルの250PSを達成したばかりというタイミングで、さらに高みを目指したい、と切り出した背景にはどんな思いがあったのだろう。

レガシィ ツーリングワゴン

「私がSUBARUに入社した動機のひとつに”スポーツカーの代用になるワゴンを作りたい”という思いがあったのです。それを自分の手で開発し、自分で購入して乗るのが夢でした。その背景にあったのは『スポーツカーにも乗りたいけれど、使い勝手のいいワゴンにも乗りたい。でも、一人で2台を所有するのは難しい』という、クルマ好きなら誰もが抱く悩みです。当時、ドイツなど海外のチューニングメーカーが、高性能ワゴンをベースに独自のスポーツワゴンを作っているという雑誌記事にも影響を受けていました。 就職先としてSUBARUを選んだのも、ワゴンというものをしっかりと作ってきていること、4輪駆動の技術蓄積もあるということで、”日常使いのできる量産車で本格的なスポーツワゴンをつくる”という夢を実現する条件が揃っていたということがありました。2代目レガシィが世に出た時、今まさに夢の入り口に立ったのだという感覚があったのです」

そんな関の思いがPGMにも受け入れられ、次の年次改良モデルの開発仕様書には”エンジン最高出力は280PSを目指す”と記入された。さらに当時の車体開発チームの開発リーダーは、車体は280PSに合わせて開発する!と宣言した。

立ちはだかる技術的な限界

と、ここまでは順調に話が進んだものの、現場のスタッフたちの反応は最初は冷ややかなものだった。それもそのはずで、当時280PSを達成していた車両は、スカイラインGT-Rが2.6L直列6気筒ツインターボ、TOYOTA SUPRAが3L直列6気筒ツインターボ、三菱GTO3.0LV型6気筒ツインターボというスペックの6気筒エンジンで、1気筒あたりの負担を見ると280PSを出すために6気筒エンジンの場合は約46.6PSであるのに対し、4気筒では70.0PSと、約1.5倍の大きな負荷がかかることになる。ルノーやフェラーリなどが開発した当時のF1マシンが、V型10気筒エンジンで最高出力600PS~750PSを発揮していたことを考えると、1気筒あたり70.0PSを目指すという関の目標は、これら最高峰のフィールドで競い合うエンジンにも匹敵する高い性能を量産車で実現するという、技術的な限界への挑戦であったことが分かる。2L4気筒のエンジンで280PSを達成するのは不可能だと、周囲のエンジニア達が思ったのも当然のことだった。

レガシィ ツーリングワゴンのエンジンルーム

「前例が無いので全て自分たちでやらなければなりませんでした。当時280PSを発揮していたクルマはありましたが、1リッターあたりの出力で見ると140PSを実現しなければならず、世の中に参考にできる事例はありませんでした。中でも一番大変だったのはインジェクター(燃料噴射装置)です。6気筒エンジンの他車がインジェクター6本で280PSを出しているところを、4気筒のEJ20は4本で対応しなければならないのです。ただ大量にガソリンを噴射できればいいわけではありません。アイドリング中の流量は通常と変わらず、エンジンがストールしないようにごくわずかなガソリンを精密に噴射し、アクセルをいっぱいに踏み込んだときには、280馬力を出すために必要な大量のガソリンを勢いよく噴射する。この『最小から最大までのカバー範囲(ワイドレンジ化)』を どうやって達成するのか? というところが最大の課題でした」

当時、チューニングショップでは、噴射量を増やすために純正のインジェクターを、容量の大きいインジェクターに交換する手法のほか、大幅に出力を上げるときには、純正1本に対しさらに1本を後付けして、1気筒当たりインジェクタを2本とする改造を行っていたが、自動車メーカーが安易に同じ手法を取るわけにはいかない。EJ20のインジェクター(燃料噴射装置)のサプライヤーであったユニシアJECS(現在の日立Astemo株式会社)にとっても、このエンジンだけのために新型のワイドレンジインジェクターを新たに開発することは困難だった。 しかし、関の熱意に応えて、従来ある部品をベースに改良を加え、共に試行錯誤を繰り返して広いレンジに対応する大容量のインジェクターをていねいに仕上げ、完成させた。従来品と取り付け互換性のあるこのインジェクターは、EJ20R(レガシィ)とEJ20K(インプレッサWRX)に展開された。

ボクサーエンジンの語りべの苦笑い

EJ20ターボエンジンを280PS化するプロジェクトを進めるにあたり、関は当初から胸に秘めていたテーマがあるという。
「4気筒2Lエンジンで280PSを目指すというと、かなり無理な開発をしたかのように思われるかもしれませんが、私の中では”日常使いができる”ということを大前提にしていました。具体的には、従来と同じメインテナンスをすればしっかり性能を発揮できるものに仕上げること。私たちはチューニングショップではなく、自動車メーカーです。 無理に出力を上げたために壊れてしまったり、頻繁にメインテナンスをしなくてはいけなかったりということは決してあってはいけません。そのためにはアイドリングでもしっかりと燃焼し、猛暑や極寒の環境でも、空気が薄くなる高地でも普段通りに安心して使えるクオリティを持たせることを徹底しました」

レガシィ ツーリングワゴンのサンルーフ

こうしてデビューしたレガシィツーリングワゴンGT-Bを、関は新車で購入した。

「運転して愉しかったです。もちろん開発の過程で試作車には何度も乗っていましたが、やはり量産としてできたモデルは完成度が高く、質感が違いました。特に高速での加速性能が気持ちよかった」

レガシィ ツーリングワゴンのラゲッジルーム

1996年6月「全性能モデルチェンジ」のフレーズと共に世に送り出されたレガシィツーリングワゴンGT-Bは、2.0Lツインターボ280PS(5速M/T)/260PS(E-4速AT)を搭載し、自動車メディアにも”これはワゴンの形をしたスポーツカーだ”などと評価された。
”日常使いのできる量産車で本格的なスポーツワゴンをつくる”という、関の夢が叶えられた瞬間であった。このクルマがあれば”一台のクルマでサーキットでのスポーツ走行からそのままキャンプ場へ~”という、入社時に思い描いていた憧れのカーライフを実現できる。念願のクルマをついに手に入れた関のオフタイムは、さぞ充実したのではないだろうか…

「実は、この翌年に結婚して家族を持つことになりまして、それから現在に至るまで、まだ理想のクルマライフは実現できていないんです...」
SUBARUボクサーエンジンの語りべは、そう言って苦笑した。

EJ20ラバーキーホルダーを持つ関さん

◆ 開封厳禁⁈ 関 竜達さんのお宝公開!

『ペター・ソルベルク選手の直筆サイン入り当時のSUBARU正式ユニホーム』

ペター・ソルベルク選手の直筆サイン入り当時のSUBARU正式ユニホームを持つ関さん

2019年11月9日、愛知県新城市にある”ふれあいパークほうらい”で開催された「WRX Fan Meeting」の会場において、ゲスト出演したペター・ソルベルク選手に直接頼んで書いてもらったもの。
「この日のために新品のユニホームを購入し、袋に入れたまま会場に持って行って背中のエリアにサインしてもらいました。その後もすぐに元の状態にたたんで袋に入れたまま、今までまだ一度も袖を通すことなく、大切に保管してきました。封を開くのは、その時以来初めてなんです」関

*ペター・ソルベルク選手は、スバルのワークスチーム(SWRT subaru world rally team)に2001年から2008年までの約8年間在籍。関さんたちが鍛え上げた「EJ20」エンジンを搭載したインプレッサを駆り、2003年には悲願のWRC(世界ラリー選手権)ドライバーズチャンピオンに輝いた。スバルファン、ラリーファンのヒーローである。

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